九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部(サーフメイズJAPAN)2025.3月で創立50を迎えました
福岡県北九州市若松で、うぶ声を上げた
海洋磯釣倶楽部 1976.3.1.創立 九州磯釣連盟北九州支部      musick クラシック () 8

九州本州てる関門海峡瀬戸、その関門自動車道路、関門大橋、その場、北九州市和布刈海岸遊歩道、対岸山口県下関市、その海峡下には国道10号線関門トンネル人道下関市がる私達釣り場はその海峡瀬戸でありくのドラマこの地からまれた。海洋磯釣倶楽部、仲間達想い出を1%紹介しょう 

                             
北九州市門司区めかり遊歩道 基点、撮影 上瀧勇哲

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     新関門海峡の詩












                                            詩人 大和三郎丸 (上瀧勇哲)


       海洋磯釣倶楽部の故郷
     新 関門海峡の詩


                      
詩 上瀧勇哲



関門海峡の詩


九州最北部と本洲を切り裂いて流れる海峡瀬戸は、
太古の昔より続く荒々しい海峡である。


その海峡瀬戸に於いて、日本の歴史が刻まれる多くのドラマが誕生した。

人間社会が文明という歴史を積み重ねてゆくとき、
この海峡の存在感、価値観は人々の心を癒す優しさと、
ハードな激流に翻弄された人々の生き方を映し出す絵画になった。


私達は、釣り文化という細やかなストーリーを、
この海峡瀬戸で育み、自然景観を独り占めして遊んだ。


そのハートは、無邪気な子供のような世界で、釣りに没頭した。



九州と本州を結ぶ大動脈関門大橋、その下を流れる海峡瀬戸そばに和布刈り神社


時の流れ

荒々しい激流が関門大橋に向かい、走り去る海峡瀬戸。
その激流と対話しながら遊ぶ私。


流れの早さに翻弄されながら釣りに没頭していると、
ふと家族や釣り仲間、会社でお世話になった、
たくさんの人々の面影が浮かんできた。


波間に漂うウキを見ながら、なぜかしら無心になったとき、
タイムスリップした、時の流れの中に、引きづり込まれてゆく。


優しかった師匠や先輩達の顔を想い出し、
楽しかった想い出だけが幻のように脳波にいざない、
消えてゆく、そのストーリーの中で、
自己のアクションがない不思議な世界に引き込まれてゆく。


次の瞬間、大波が岩に打ち砕かれ、その波しぶきが顔面に降り注ぎ、
ふと我に返った、めかり遊歩道の釣り。

そんな、もの思いに更ける、空白の時間が好きだ。



関門海峡瀬戸の急潮、その潮を釣る釣り人が、私達である


北九州市、関門海峡瀬戸

玄界灘と瀬戸内海を結ぶ関門海峡瀬戸は、
狭いところで、わずか700mほどしかない。


その海域は干満差の潮位で東流れ、西流れとなり、
その流れの基点が関門大橋下の和布刈り海岸である。


その激流の中心は渦潮が舞い、自然のパワー、脅威を感じることができる。

その渦潮が海峡瀬戸から早足で過ぎ去ると、急速に波のパワーが衰え、
広い海域に出ると、小さなさざ波のような優しさに戻る。


関門大橋から上りの船が激流をかき分け、
力強く、ゆったりしたリズムで上がってくる。


大自然のパワーに押されながら突き進んで行く貨物船は、
人間界におけるささやかな抵抗のように映る。


そして、東流れに乗った大型タンカーが、
猛スピードで私の目の前を走り去ってゆくと、
いきなりの大波が私を襲ってくる。


急潮の荒波、船が作る大波、季節風が起こす波、
その荒波に溶け込む沖の釣り舟は、
木の葉のように舞い踊り、なす術を持たない。


ただ自然に身を任せ、心地良い快楽の世界に浸っているようにも映る。



関門海峡瀬戸が釣り場、豊かな自然景観を眺めながらの釣りは至福のひと時


北九州門司、めかり公園

青春のページをめくり始めると、真っ先に「めかり海岸」が、
大きな巨像となって飛び込んできた。


清く透き通った真っ青な海の色。
ピンク色に染まった、めかり山頂は桜色に染まり、
花びらが街道に沿ってピンク色に輝く春の道。


赤、オレンジ、ピンク、黄、そしてホワイト色のツツジ色は、
私達の出会いを祝福してくれる青春のステージだった。


白色にコーディネイトした彼女のファッションは、
誰よりも清楚で華やか、しかも、風がいたずらした長い髪が乱れたとき、
その一瞬の笑顔が大好きだった。


海峡瀬戸の潮風を一身に浴び、
新緑の香りを胸いっぱい吸い、散策するめかり海岸遊歩道。


その遊歩道から見つめられる釣り人は青い海に溶け込み、ピクリともしない。
静かな大地に身をひそめながら、荒々しい海と向かい合い、
お魚さんと対話する一瞬を待ち望んでいるのだろう。


ふと自己の釣りを想い、又、彼女を気遣いながら、
自然に浸る青春の鼓動は、今も忘れられない日々。


昭和47年〜48



釣り仲間の妹が妻になった最愛の人


幼 心

奇麗に整備された、めかり遊歩道で釣りを楽しむとき、
家族連れで散策するファミリーが、問いかけてくる言葉。


「おじちゃん釣れますかァー」
「おじちゃんお魚居ますかァー」
「どんなお魚が釣れるのですかァー」


観光客のそれぞれの雰囲気で、色んな会話を楽しむことが出来る釣との出会い。

ふと、「めかり公園」に始めてきた小学校の遠足を想い出した。

まだ、めかり水族館があった時代だったから、50数年は過ぎている。
あの頃は、こんなに整備されてなく、
自然が作る海岸線と急潮で流れる関門海峡しかなかった。


めかり神社から海岸に降りると、海峡瀬戸の磯遊びができ、
海岸道路は茶屋と出店が並び、
祖父から「少年ジェット」のお面を買ってもらったことがあった。


そして関門トンネル人道口から下関まで徒歩したこと、いろいろ。

めかり山頂公園の仏舎利塔や城山公園のお弁当タイムは、
自然の恵みを一身に受け、
新緑の中の遊びの時間は留まることを知らなかった。
もう、あのころの自然はない。……

昭和32年〜33



仏舎利塔から和布刈り遊歩道、関門トンネル人道口、下、和布刈り神社、関門大橋。2013.



北九州市門司区、笠石海岸

戦時中、国有地の笠石海岸は、古ぼけた弾薬倉庫が並んでいた。
その名残のあるフェンスをくぐり抜けて行く海岸線の岩場は、
投げ釣りで型の良いカレイやアイナメが良く釣れるポイントだった。


三萩野サーフ・キャスティングクラブ、北野 孝会長の、
ホームグランドを教えてもらい、通いだした40数年前のことである。


面影の海岸は岸壁となり、笠石の地名は消え、田野浦、太刀浦と名前が変わった。


海洋磯釣倶楽部の月例会は関門海峡。そしていつもイシモチが大魚だった。1986.6.

私達が遊んだ笠石の40年あまりは、時の流れに沿うように、
魚が少なくなり、良く釣れた想い出だけが残る。


海洋磯釣倶楽部を結成した頃より、たくさんの釣り仲間を案内した、
その笠石は、埋立造成中の中で夜釣りを楽しんだ。


投げ釣りで釣れたシロキス、コイチ、チヌは刺身。
アナゴは焼き肉のタレを付けて次々と仕上げていく石松、藤島、渡辺会長達。

味付けされた魚を口に運ぶと、海の香りが口の中でとろけていく自然の味。
浦本、保里、浜部兄弟、それに賑やかしい笠井、益田を含めた、
月例会は酒がつきものだった。


そんな仲間達とワイワイ賑やかに騒ぐ、夜釣りの時間は人生最良のひとときだった。
あのとき、あの時間はもう訪れない。

昭和55年〜59





北九州市門司田野浦・太刀の浦の月例会は夜釣り投げ釣りだった。1979〜84


北九州市門司区、白野江海岸と部崎灯台

九州最北端の部崎は関門海峡、東の玄関口である。

海峡を通る船舶は皆、部崎灯台の明りで九州本土を知ることができる。

その灯台前の海岸線は白野江港から青浜経由で入れるが、
その途中が私達、海洋磯釣倶楽部の投げ釣りポイントだった。


クラブを結成して間もない頃から、
チヌ・カレイ・キス・グチ・アイナメを求めて随分通った。
そのポイントの中で、ジャリ石を船積みする桟橋は、
投げのポイントとして夜釣りから陣取らないと中々釣り座を確保できなかった。


真冬の雪が降る釣り、早朝3時、4時から車を乗りつけ竿を並べる、益田、浦本。

海岸で焚火をおこすと、内田、東、保里会長が、
釣りそっちのけでチビリ、チビリやる酒の宴が始まると、
すぐに益田、藤島、等の若い衆が集まる


部崎、青浜海岸の投げ釣りは大型コイチに時々のスズキが良く釣れた。



北九州市門司白野江から青浜海岸の釣りは投げ釣り1082〜89

釣り仲間を大勢誘った月刊「釣春秋」の取材。
釣り場案内人として必死に釣った春ガレイ釣りは、
カラーグラビアに載った海洋磯釣倶楽部のメンバーたち。


部崎灯台前の清虚像ゴロタ浜海岸は、すぐそばを沖潮が通すので、
キャスターにとっては格好のポイント。
干潮時が釣りタイムで、遠投置き竿で、
大型のコイチやチヌ、アイナメ、カレイが良く釣れた。


今はその面影も少なく、後方にある、白野江(部崎)灯台さえ古びてしまい、
山が大きく削られ、灯台だけがポッカリ浮いてしまった。


自然の景観は海だけとなり、その横の新太刀浦埠頭は、
近代的なコンテナ基地と大型の外国船が接岸するようになり、
フェンスでその岸壁が囲われ釣り禁止となった。


昭和51年〜55



北九州市門司部崎の清虚像前が釣り場。新太刀の浦、埋立中が釣り場、遠景が白野江灯台


下関市、関門海峡、巌流島(船島)の釣り例会

北九州市戸畑区境川の小さな港より、
漁船がトン、トン、トンと、ゆっくり船出する。


今日は海洋磯釣倶楽部の月例会として、
賑やかなメンバーを乗せて下関巌流島へ向かっている。


九州工業大学前、釣具店のおやじさんに頼み込み、
朝早くから舟を出してもらったのだが、
ゆったり、ゆっくり、安全な小舟で海峡を渡り切るころ


『辰チャンが、南の岩場に着けてくれ』と言うが、
潮の流れに押されて瀬着けできない。
とうとう舟着場まで行ってしまったから、
皆さん重い荷物を担ぎ、釣り場まで40分歩く。


その長い道のりは

「こっちが近い」

「道がナイヤーないカァー」
「タヌキ道ヤァー」
「足が遅い」
「お前の案内が悪い」

等々、ワイワイ賑やかな遠足である。


関門海峡、下関市巌流島の釣り場1981.5

関門海峡を正面に見る巌流島の海岸線は、
ジャリ石浜と岩場を組み合わせた湾曲した海岸で、
サーフの大物釣り場でもある。


その釣り場から、それぞれにサーフでチヌを狙う辰チャン、石さん、笠井さん。
そして、ユーモアのある磯遊びの釣りに、
辰チャンがハラかいて、実行委員長のプライドかけて必死に竿を振る。

「ジョーさん、まぁイッパイ」と渡辺さん。
大庭さんもワンカップを空けてのんびり日向ぼっこの釣り。

一投毎に根掛かりしてオモリ、仕掛けをホイホイとられ、ボヤく利さんに

石さん 「まぁーイッパイ」
笠井さん「ソッチ投げるケョー」
利さん 「お前の海カァー」
辰ちゃん「コッチ投げてミロー」
利さん 「オレの好ヤナイカァー」
    「又引っ掛かった」
    「お前の仕掛けが上がった」
笠井さん「オレのオモリヤローガー」
石さん 「このフグ、お前に似とるナァー」
辰ちゃん「ハゲとるかァー」
    「お前のハラ、ヤロウガー」

辰ちゃん、利さん、石さん、笠井さんの4バカコンビに、
恒チャンが入り込んで、ゲラゲラ笑いこける釣り三昧は、
そばで見ているだけで楽しい。


0数年前のこのステージが、月例会で何度繰り返されたのだろうか。


関門海峡、下関市巌流島、南岸と、宮本武蔵と佐々木小次郎試合所、観光名所1981〜96
昭和52年〜56



門司港L波止の夜釣り月例会で、コイチの暴れ食い

保里剛太郎会長が退任されて、若い渡辺征照さんが二代目会長になった。
早速、懇親会を兼ねて月例会。

ホームグランドの門司港周辺に10数人の仲間が集まり、
全員サーフのコイチを釣り始めた。


実行委員長の山滝一道さんが先週、L波止で20匹近いコイチの大物を釣り、
今日もハナ息が荒い。


段はウキふかせ釣りしかしない連中も、この話を聞いて、
新しいタックルでのぞんだ。そして、全員ホクホクの、えびす顔。


深夜、L波止に、みんな集まり検量。
その後、釣りをしながらチビリ、チビリでなくて
ワッショイしながら楽しむ渡辺会長に大庭さん、山ちゃんも、
みんな大漁で盛り上がってしまった。


新浜13号で辰ちゃん、恒ちゃん、利さんなどが入り、
4050pのコイチに、チヌまで含めてみんな大漁。

そんな釣りが朝まで続く関門海峡の月例会。


しかし、その釣り場が国策により、フェンスが張られ全面釣り禁止となった。

昭和56年〜60年ごろ


関門海峡で海洋磯釣倶楽部の月例会は夜釣りでイシモチ釣り1981〜93


北九州市小倉、日明切れ波止の新春・月例会

日明海岸の主である笠井、辰ちゃんコンビは、
この近辺では有名な釣りキチである。


新しくオープンした北九州市中央卸売市場内の業者入門許可書をもらい、
一般釣り人が入れない港の波止から釣りをする。
そしてアイナメ、カレイの3040pオーバーを、アサリ貝のエサで釣る。


「ジョーさんも入れてヤルケ、原稿は書かんでョ」で、
波止のコーナーから投げて、

なんと39pをトップに30pオーバーのアイナメを11匹釣った。
もちろんカレイも3枚。


その後、クラブ員やら常連客が入りだし、
とうとう釣り禁止となり、フェンスが張られてしまった。


そのフェンスを乗り越えて行く釣り人が目立ち始め、
ガードマンから警察ざたになるまでになった。


その後、笠井さんの釣り情報で、日明切れ波止の夜釣りで、
コイチ、スズキ狙いが大ブレーク!!



北九州市小倉日明切れ波止で釣大会、月例会は年2度、いつも大魚だった。1979〜90

最初は、そろーッと浜部、笠井さんのゴムボートで渡っていたが、
この頃は渡船、幸進丸を利用して、釣りクラブの月例会として、
正月から3月ごろまでカレイ、アイナメはもちろん、
クロ、ウミタナゴ、クロダイの大物賞クラスが入れ食いで、
商品券が追い付かないほど釣りまくるみんな。


辰ちゃんのブラクリ仕掛けに40pのアイナメ。
渡辺会長は、ウキふかせでメイタ、クロを面白いように釣りまくるが、
そばで笠井さんが35p前後のアイナメを56匹も釣るので、
とうとう渡辺会長もクロ釣りをやめて、
ブラクリ・アイナメ専門の人間になってしまった。


そのような切れ波止釣行が10年以上続き、
今は「日明海峡海釣り公園波止」として陸続きとなり、

楽しかった、釣れた海洋磯釣倶楽部のホームグランドが又1つ消えた。


昭和52年〜54


北九州市若松一文字波止の月例会は全員サーフ?


北九州市若松区一文字波止は海洋磯釣倶楽部のホームグランドでカレイ、イシモチ、キス、チヌの大物釣り場だった。1976〜90

海洋磯釣倶楽部が結成され、
近場の月例会、ファミリーフィッシングが多くなった。


その代表的な釣り場が関門海峡だが、
若松響灘は家からわずか15分で行ける釣り場。
その中でも沖波止、新波止、一文字波止はテトラを3040分も歩く釣り場で
そのポイントまでの道のりで、東、保里、辰ちゃん、笠井、私も、
スッテンコロリでズッこけ、テトラにハマったこと再々。


そのぐらいなら、まだイイ方? 
入院したヤツがいないから良かった。


11月から3月の真冬のカレイ釣り。
みんなザブトンガレイの50pクラスを求め、この若松一文字波止にやって来る


「ジョーさん、一文字の先端で、キス29p釣ったョ」…… 木谷さん
「カレイ50pを隣の吉田さんが釣ったョ」…… 木谷さん
「置き竿のカーボン竿が流された」…… 辰ちゃん
「夜釣りで道糸6号切る大物に遭遇した」 東さん
「大物魚から竿持って行かれた」…… 利さん
「シケてズブ濡れになった。帰れなくなった。
 ヘリコプターで救助された仲間を見た」………木谷さん

私、「大潮の大波で、バッグ、クーラー流された」  色々

そんな釣り場で月例会、大会を毎年2〜4度した。
その事で田中裕治くんや広津くんなど釣り仲間がドンドン増えた。
みんなカレイ、アイナメ、チヌ、キス、コイチの大物釣り、さすが一文字 !!


オール九州、西日本、九州磯釣連盟釣選手権等、大会魚拓を、
この釣り場から出し、優勝とか入賞は数、限りなくあり、
海洋磯釣倶楽部のホームグランドだった。


映画「釣りバカ日誌」のロケ地となったり、
私がアプローチした「大ちゃんの釣に行こう」のTVにも出演した釣り場だが、
死亡事故、遭難事故多発し、とうとう釣り禁止になってしまった。


昭和44年から63年ごろ





北九州市若松一文字波止はウキ釣り、投げ釣り、何でも良く釣れた。今は釣り禁止1976〜92


海洋磯釣倶楽部OB会員の皆さん、家族の皆さん、お便りメッセージお待ちしています。





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2024・海洋磯釣倶楽部新しく開設、リンクご覧下さい


下関.北九州.関門海峡.めぐり


関門海峡に掛かる関門大橋は九州の生命線
下関市水族館(海響館)へ洋子ちゃんファミリーと

私も水族館(海響館)へ行きました3度め

水族館(海響館)でイルカショー

下関水族館(海響館)で、洋子ちゃんファミリー

唐戸桟橋から関門海峡と関門大橋、釣り場

巌流島に到着しました洋子ちゃんファミリー

巌流島など、めぐる観光船、下関唐戸桟橋から

下関市唐戸市場

唐戸市場前の展望デッキから水族館(海響館)

下関市商港海岸

下関市商港海岸、波止

下関市商港外波止

下関市商港

下関市唐戸港から水族館(海響館)前

水族館(海響館)前の海岸

下関市唐戸港外波止

下関市唐戸港

下関市唐戸桟橋

水族館(海響館)前

下関市長府マリンランド前の海岸はチヌ釣り場

下関市長府マリンランド

北九州市門司区和布刈り遊歩道が釣り場

北九州市門司区和布刈り遊歩道

北九州市門司区和布刈り海岸

北九州市門司区関門海峡でコイチ洋子ちゃん

北九州市門司区税関でコイチ、私


脇田海釣り桟橋事務所 рO93―741―3610

北九州市若松脇田釣り桟橋

北九州市門司税関前3号4号

門司税関3号4号で釣り場掃除、海洋磯釣倶楽部

北九州市門司税関前3号4号

北九州市日明海峡釣り公園

北九州市日明海峡釣り公園

北九州市関門海峡めかり、潮見公園

北九州市関門海峡、めかり神社

門司白野清虚像前はサーフのカレイ、アイナメ

北九州市門司部埼灯台前の釣り場はチヌ釣り場

北九州市門司白野江青浜海岸はサーフのキス釣り場

九州市もじ和布刈り遊歩道
北九州市もじ和布刈り遊歩道タンク前はチヌ釣り場

北九州市もじ和布刈り遊歩道

北九州市もじ和布刈り遊歩道から門司港レトロへ

北九州市門司めかり遊歩道前がチヌ釣り場

北九州市もじ和布刈り遊歩道前のカキ小屋

門司めかり関門海峡人道口と鮮魚焼き市場

関門海峡海岸関門大橋

関門海峡海岸関門大橋下の遊歩道